2019年8月31日

修理帰りのLeica III型

Leica III

修理に出していたLeica III型が帰ってきた。
このLeica III型、 機械で計測すると不具合があるかもしれないが、感覚的には殆ど正常動作していた。

スローシャッターも1秒から作動、TもBも動いて、距離計のズレもなく巻き上げもスムーズ、シャッター音も静かである。
もちろん光漏れも見当たらず、問題なく撮ることができている。


距離計ファインダー

けれど距離計ファインダーが暗かった。
二重像を合わせられないわけではないが・・・
目測やノーファインダーで使うことが多いカメラなので、別段このままでもいいが距離計窓を覗いた時になんとなく気になる。
ファインダーが汚れていたり暗くて見にくいと嫌なもので、写真を撮っている時に、これが気になると写欲が落ちてしまう。


交換したハーフミラー

そこで、ファインダーだけの部分修理をしてもらうことにしたのだが、ハーフミラーはかなり痛んでいたようで、
清掃だけでは改善せず交換となった。
カメラと一緒に返却されたハーフミラーを見てみると銀蒸着が剥がれ黒ずんでいたようで、
これでは距離計ファインダーが暗くなって当然だろう。


Leica III

ファインダーの清掃とハーフミラーの交換を終え、距離計ファインダーが見違えるほど明るくなったので爽快である。
少し遠ざかっていたLeica III型だが、これで持ち出す機会も増えそうだ。

2019年8月29日

2019年8月27日

森山大道:大阪+

「大阪プラス」森山大道

「大阪プラス』は文庫本より少し大きいサイズのコンパクトな写真集であり、
1995年から2006年にかけて撮影されたもので、平成の写真集であるが中身はどっぷりと昭和なのである。
厚さは4cmほどあり、すべて写真で埋められ文字は一切ないので、かなりの量のモノクロ作品が収められていて見応えがある。

分かる範囲でも十三、千林、梅田、北新地、大阪城、中之島、大正、鶴橋、難波、法善寺、道頓堀、千日前、戎橋、
新世界、西成、天王寺、阿倍野、堺東などの街が捉えられていて、都会の息づかいを感じる写真集であり、
時間と空間の記録でもある。
そういえば記録シリーズも「記録40号」まで発行されているようだ。

『二十歳少しまえのぼくの日常は大阪だった。その頃の大阪、その頃のぼくをいま思い返すと、
それはほとんど絵空事として瞼に映るばかりだ。当時若いぼくにとって、心の針はひたすら東京へと指しつづけていた。
そして現在、ぼくの心の針は再びぐるりと回転し、大阪の街々へと立ち戻りつつある。
それは、大阪に生れたぼくの郷愁であろう。ただ、レンズの向うに映る大阪の街頭は、
いまも相変らずしたたかで、いとも簡単にぼくの郷愁を裁ち切ってしまう』(森山大道)(帯文より)


森山大道といえば犬だ

森山大道氏といえば、荒れ・ブレ・ボケが特徴とされるが、
アサヒカメラやカメラ毎日でよく見た粗粒子でハイコントラストな作品に影響されて、高温現像などをしたものだった。

以前、森山大道氏が撮影している映像を見たことがあるが、コンパクトカメラを持って歩き続け、
そして被写体を見つけるとすかさず撮る、それが早いのだ。
歩くのを止めずに、どんどん撮っていく森山大道流なのだろう。

大阪生まれの森山大道氏が撮った大阪をみながら、撮ってみたい所を探すのもいいものだ。

森山大道オフィシャル
https://www.moriyamadaido.com

2019年8月25日

カメラはブラック

ブラック ボディ

フィルムカメラの時代から、ボディの色はブラックとシルバーを選べるのが普通だった。

元々、カメラはブラック塗装が一般的で、ライカでもII型まではブラックペイントが殆どだったが、
質のいいクロームメッキができるようになったIII型からクロームボディが増えている。
それまでのブラックペイントにニッケルメッキのパーツという地味で機械感の強いカメラより、
シャイニークロームのようにキラキラと輝くカメラは宝石のようで、当時の貴婦人には喜ばれたことだろう。

その後はクロームメッキのシルバーボディが主流となり、ライカM3も殆どがクロームメッキで、
ブラックペイントはレアアイテムとして中古価格も非常に高価である。

再びブラックボディが多く見られるようになったのは、ニコンFあたりからだろうか。
特に1971年に発売されたキヤノンF-1は、ブラックボディだけでシルバーは発売されていない。
この頃には普及機はシルバー、高級機はブラックという印象もあり、
キヤノンF-1の「for proffetional」というロゴとブラックボディのみということで、
プロ用はブラックという刷り込みがされてしまったようで、その後はブラックボディを選ぶことが多くなった。

ただ、ブラックといっても新品同様の綺麗なボディは魅力がなく、
使い込まれてブラック塗装が良い具合に剥げ、真鍮地が覗いているカメラは眺めているだけでも楽しい。

ブラックでもシルバーでも性能は同じであり、シルバーモデルの方がデザイン的に美しいカメラもあるのだが、
それでも、今だにカメラはブラックボディだと思っている。

2019年8月23日

2019年8月21日

キヤノンFDレンズの絞りロック

FD28mm F2.8 S.C.の絞り解除状態(通常の状態)

FDレンズは自動絞りのレンズなので、手動絞りにセットしなければ絞りは開放のままである。
ミラーレスカメラに取り付けるときは、マウントアダプターの絞りロックリングをセットして手動絞りにすれば、
レンズの絞りリングを回して絞りを操作することができる。

しかし絞り連動ができない中間リングやベローズを使うときは、
FDレンズの絞りリングの操作で絞りを開閉できるように、レンズ自体を手動絞りにセットしなければならない。
その状態にするのが絞りロックレバーである。

これは「FD28mm F2.8 S.C.」だが、下側にあるレバーが絞りレバーで、
キヤノンF1の場合はシャッターを押したときにボディー側から、このレバーを反時計回りに移動させて絞りを操作する。


FD28mm F2.8 S.C.の絞りロック状態

手動絞りにするには、この絞りレバーを反時計回りに端迄スライドさせ、
その隣にある絞りロックレバーを白点からL側にセットする。
これで絞りレバーは元の位置に戻らなくなるので、絞りリングを操作して絞りを開閉することができるようになる。

ちなみに、左側にあるレバーは露出計に絞りリングのプリセット位置(F値)を伝えるレバーなので触る必要はない。
その下にある丸いピンは露出計に開放F値を伝えるピンで、ピンの高さがF値を表している。


FD100mm F2.8 S.S.Cの絞りレバー

「FD100mm F2.8 S.S.C」のように、絞りロックレバーのないFDレンズもある。


FD100mm F2.8 S.S.Cの絞りロック状態

この場合は、絞りレバーを反時計回りにスライドさせると途中で少し固くなるが、そのまま押せば端に固定されて手動絞りになる。
戻すときは少し硬いが、レバーを元の位置に押し戻せばいい。


絞りレバーストッパー

NewFDレンズのように絞りレバーをロックできないレンズは、付属の絞りレバーストッパーを使えばロックできる。
絞りレバーストッパーは反対側に長い切れ目があるが、こちら側の短い切れ目に絞りレバーを入れ、
右側にある突起を引っ掛けて固定するように使う。


FD100mm F2.8 S.S.Cに絞りレバーストッパーを取り付けた状態

NewFDレンズが手元にないので、「FD100mm F2.8 S.S.C」に取り付けてみた。
絞りレバーストッパーの短いほうの切れ目に絞りレバーを入れ、
少し反時計回りにスライドさせるとカチッという感触で固定ピンがハマリ、絞りレバーが固定される。

いずれの方法で手動絞りにしても、レンズ単体では絞りリングを回しても絞り羽根は開閉しないが、
ボディや中間リングに付けると絞り羽根が開閉するようになる。

2019年8月19日

植田正治写真美術館



植田正治さんといえば「ベス単写真帖・白い風」を思い出す。
「ベスト ポケット コダック」の単玉レンズ付き通称「ベス単」の絞りの周囲を覆っているフードを外し、
絞りを最大に開いた状態で球面収差を利用してソフトフォーカスにする「ベス単フード外し」という使い方で、
このレンズをペンタックスのボディに装着して撮ったカラー写真集である。


植田正治写真美術館

何故、裏側を ???




アマチュア精神を貫き、演出により人物をオブジェのように配置するモダンで実験的な構図で独特の世界観を表現、
 特に鳥取砂丘を舞台にした「砂丘シリーズ」はよく知られている。


大山

このスリットから大山を眺められ、水面に「逆さ大山」が映るのだが、風が強くさざ波が立っていて現れることはなかった。

もう写真をほとんど撮っていなかった頃なのだが、翌年の2009年にオリンパスペンE-P1が発売され、
そのテレビCMに刺激を受けてデジタルカメラで本格的に写真を撮りたくなり、
2011年にE-PL3を購入して再び撮り始めた。

2008年
Canon IXY DIGITAL 10

2019年8月17日

キヤノンFDレンズのフード修理

レンズフードBS-55

キヤノンFDレンズの純正レンズフードBS-55を修理した。

このレンズフードは金属製だが、フードをレンズに固定する樹脂製のストッパーがボロボロになっているので、
これを交換する。

樹脂製フードは一体型だが、この金属製フードは後ろ側のシルバー枠がビス止めなので取り外すことが出来きる。
取り外したあと、古いストッパーの屑は取り除いておく。

左端は今回使う材料で、少し柔らかめの樹脂製のケーブルコネクタカバーである。


切り出したストッパー

大雑把だが樹脂製のケーブルコネクタカバーを、程よいストッパーのサイズにカットした。


3箇所にストッパーをセット

このストッパーをフードの3カ所にセットする。
本来はビス穴の両横にセットするので6カ所なのだが、材料が足らないので3カ所にした。

3カ所なのでビス穴の左側にセットする。
これはフードをレンズにセットするとき、右回転なので最初に当たる方にストッパーがある方が良さそうだからだ。


シルバーリングをビス止め

シルバーのリングをビスで仮止めしてストッパーの位置を調整したあと、
ビスを本締めして、ストッパーが外れないことを確認すれば完了である。


FD 28mm F2.8 + BS55

標準レンズのフードだが、50mmがないので28mmに付けてみたが、丁度いい力加減で取り付けられた。

中古で売られているFDレンズのフードはスカスカになっていることが多いが、
簡単に修理できるので金属製フードの質感を楽しむのもいい。

2019年8月16日

x385 * 避暑






少し涼しさを・・・


2016年
Olympus pen E-P5
Voigtlander NOKTON 25mm F0.95

2019年8月14日

2019年8月10日

Rollei 35 というカメラ

Rollei 35

  • 形式:35mmレンズシャッターカメラ
  • 画面サイズ:24×36mm
  • レンズ:テッサー40mm F3.5
  • 最小絞り:F22
  • 構成:3群4枚
  • 最短距離:0.9m
  • シャッター:デッケル製シンクロコンパー
  • シャッター速度:B,1/2~1/500
  • ファインダー:逆ガリレオ式ファインダー、アルバダ式フレーム
  • 焦点調節:前玉繰り出し目測式
  • 露出制御:マニュアル露出・ゴッセン製追針式露出計
  • 露出連動範囲:EV5~EV18
  • 大きさ:99mm × 68mm × 38mm(沈胴時)
  • 重量:325g


今は手元にないのだが、このコンパクトカメラをキヤノンF-1と共に使っていた。
高さがフィルムパトローネのサイズギリギリで、当時世界最小の35mmフィルムカメラとして話題になったが、
ここまで小さくしているので操作性など度外視だ。


Rollei 35の裏蓋

フィルムを右側にセットして左へ巻き上げるので、左側に巻き上げレバーがあり、
裏蓋は開閉式ではなく、引き抜くタイプなのでフィルム装填は面倒だった。


Rollei 35の底

ホットシューはボディの底にあり、ストロボを付けると下から光が当たるので、
カメラを逆さまにして使うのが作法だったが、評判が悪くボディの横に付けられるアダプターが追加されたと思う。
フィルムカウンターは、ボディ底の三脚穴の縁にあり、右端にあるのはフィルム巻き戻しレバーである。


Rollei 35

向かって左の丸い窓が露出計である。
露出計のメーターはボディ上面の赤い針で、マニュアルの追針式だ。
レンズロック解除ボタンとシャッターボタンが近くて間違えることもあり、これも評判が良くなかった。

向かって右側のダイヤルが、シャッターダイヤルとフィルムインジケーター、左側のダイヤルが絞りダイヤルとフィルム感度で、雰囲気としてはローライの二眼レフのようなダイヤルである。

このサイズでは、距離計の組み込みは無理なので目測になったのだろう。
レンズ先端にフォーカスリングがあって、距離目盛と被写界深度目盛が刻まれている。
レンズは沈胴式でレンズを引き出し、右に回すとカチッと音がしてロックされシャッターが連動する。
ライカなどの沈胴レンズはシャッターは関係ないので単純な構造だが、これはレンズシャッターなので、
レンズ側のシャッターとボディ側を連動させる必要があり複雑な構造になっている。

他にも操作する時の作法があって、間違えると壊してしまうという厄介なカメラだったが、
こういう扱いにくいカメラであっても、魅力的なので一度は使ってみたいと思っていた。
操作しやすいだけのカメラよりも、技術者のこだわりがあるカメラが好きだ。

2019年8月6日

Sudek の光

YouTube: Josef Sudek — «Жить своей жизнью» 1963


ヨゼフ スデク(1896-1976)
「プラハの詩人」と呼ばれたチェコの写真家である。
戦争で右腕を失い、片腕で木製の大型ビューカメラを担ぎ、プラハの市街地や近郊の風景、静物などを詩的に表現した写真家だ。

スデクの作品は戦争の影響から、スタジオや自宅周辺で撮影されたものが多いようで、
1944~1953年に撮影された「The Window of My Studio」が、それを物語っている。
この「スタジオの窓辺より」という作品を見ていると、ドアノーの「動かずにいることの効用」という言葉が浮かんでくる。

濡れた窓ガラスとコップの中のバラ、野原と樹、濡れた舗道と灯り、聖ヴィート大聖堂に射し込む光、雨上がりの庭の輝き・・
このスデクの光の捉え方が好きで、どうすれば、このような光を捉えられるのか・・
いつも考えさせられる。


Olympus PEN E-P5
Leica Summar 5cm F2

Olympus PEN E-P5
Leica Summar 5cm F2

2019年8月4日

ヴィヴィアン・マイヤーのLeica IIIc

Vivian Maier

ヴィヴィアン・マイヤーといえばローライフレックス。
1952年に初めて手に入れたブローニー判のローライフレックスで、たくさんのモノクロ写真を撮っているが、
後年35mmカラーフィルムでも写真を撮り始めている。

ヴィヴィアン・マイヤーの公式サイトでは多くの作品が紹介されているが、本人についても紹介されていて、
その中にヴィヴィアン・マイヤーが使っていたカメラが紹介されている。

Some of Vivian Maier’s various cameras
http://www.vivianmaier.com/about-vivian-maier/#attachment_1106

この写真の中にバルナックライカがあるのだが、解説を見るとLeica IIIcとなっていて、
Elmar 9cm f4のブラックペイントが付けられている。


Leica IIIc + ELMAR 9cm f4

このセルフポートレートには、そのLeica IIIcが写っている。
これには外付けファインダーが付いていないので、レンズは50mmだと思われるが、
フィルムは、よく使っていたKodak Ektachromeかもしれない。


Vivian Maier’s self portraits
http://www.vivianmaier.com/gallery/self-portraits-color/#slide-5

この写真は1975年に撮られていて当然M型ライカの時代なのだが、バルナックライカなのは、
ローライフレックスの美しいデザインと同じように、バルナックライカの美しさに惹かれたからか。


Vivian Maier’s self portraits
http://www.vivianmaier.com/gallery/self-portraits-color/#slide-14

こちらにはブラックペイントのバルナックライカが写っているが低速シャッターダイヤルがないのII型だろうか。

どちらのバルナックライカにも、ボディケースが付けられているように見える。
セルフポートレートに見られるカメラから、色々と推測するのも楽しいものである。

2019年8月2日