2020年7月29日

ベス単繋がり

Nikon F + VK70R

VK70Rはヴェスト ポケット コダックのレンズを流用した「ベス単フード外し」という方法の軟焦点描写を再現するため、
35ミリ一眼レフカメラ用レンズとして開発されたもので、
オリンパスの元技術者である桜井栄一氏の協力により、清原光学研究所が3年かけて設計して1986年に完成させた。
名称のVKはベス単と清原の頭文字だそうで、ベス単を基にしたので焦点距離は70mmと少し長めである。

「ベス単フード外し」とは、コダック社のベスト判カメラの単玉レンズの収差を小さくするためのフードを外して収差を大きくし、
ソフトレンズとして使うことで、このベス単フード外しのレンズをペンタックスマウントに改造して、
「ベス単写真帖 白い風」などの作品を撮ったのが植田正治氏である。


植田正治写真美術館からの大山の眺め

清原光学研究所が製作したレンズはVK70RとVK50Rだけだが、
植田正治写真美術館の「超大型カメラオブスキュラ用レンズ」も製作している。
カメラオブスキュラは奥行き10メートル、投影サイズは5×4メートルと巨大なもので、
そのレンズは8400mm、F32、最大径600mm、総重量625Kgという世界最大のカメラレンズである。
このカメラオブスキュラに入って、投影された「逆さ大山」が眺められるという。

ベス単とキヨハラ、キヨハラと桜井栄一、植田正治とキヨハラ、植田正治とベス単、
清原光学研究所と桜井栄一氏と植田正治氏がベス単で繋がったということである。

2020年7月13日

カメラレビュー 創刊号

カメラレビュー:日本のカメラ名機50選

1977年10月の発行の朝日ソノラマのカメラレビュー創刊号だが、特集は創刊号にふさわしい定番の名機50選、
やはりフラグシップ機が多いのが常である。
昭和52年といえば、まだまだフィルムカメラが元気だった頃、使った、使っているカメラも掲載されている。


ヤシカエレクトロ35:1966年2月

初めて自身で駅前の写真機店で買ったカメラ。
まだカメラのことはよくわからなかったので相談したところ、店主が勧めてくれたのがこのカメラだった。
ロウソクの明かりで写真が撮れるというキャッチフレーズで、テレビでもCMが流れていたのを覚えている。

レンズはヤシノン45mm F1.7、電子制御の全自動露出で距離計でピントを合わせシャッターボタンを押せば写真が撮れるとという、
少し大きいが使いやすくよく写るカメラで、旅行などによく持ち出したものだった。
ファインダーはブライトフレーム付きでパララックス補正もされ、
距離計の二重像はひし形で金蒸着のハーフミラーなのか黄色く見えたように記憶している。


キヤノン F-1:1970年9月

当時は一眼レフが全盛期だったので、一眼レフへの憧れが強かった。
だが、やはりキヤノンF-1は高嶺の花、それでキヤノンFTbをしばらく使っていたのだった。
少しレンズも増えて、一眼レフに慣れてくると、やっぱりフラグシップ機で長く写真を撮りたいという気持ちになって、
F-1が欲しくなったのである。
このとき迷ったのが、ニコンF2とニコンFだったが、結局露出計内蔵で三角屋根のスタイルが気に入ったのと、
少しだがレンズ資産があったのでF-1に決めた。

この時代の最新の一眼レフなので、もちろん完全自動絞り、絞り開放TTL露出測光、チタンシャッター幕、
1/2000秒という当時の技術の集大成であり、ブラックペイントのみというのも魅力的であった。

使っていて一番気に入ったところは、巻き上げレバーの滑らかさで、写真を撮るリズムを楽しくしてくれる。
もう一つは追伸式露出計で、絞りに連動する丸い針の位置で絞りの状態がわかり、
シャッターダイヤルに連動する針との離れ具合で露出オーバー、アンダーの程度がわかるのが使いやすかった。


キヤノンVI L:1958年9月

キヤノンF-1で写真を撮り続けていた頃、レンジファインダー機に興味が湧き始める。
ヤシカエレクトロ35もレンジファインダーなのだが、当時レンジファインダー機といえば、
距離計内蔵でレンズ交換のできるフォーカルプレーン シャッターのカメラであった。
ヤシカエレクトロ35はレンズ交換の出来ない、レンズシャッターのカメラで、コンパクトカメラと呼ばれていた。

もうこの頃はライカしかレンジファインダー機を作っていなかったので、このVI Lは中古で購入したものである。
仕事の帰りに中古店巡りをして見つけたのだが、金属シャッター幕のよれもなく、シャッターも正常に切れていた。
のちにカラーフィルムで撮るためにと、シャッターダイヤルに連動する露出計キヤノン メータも買って使っていた記憶がある。

このカメラで一番気に入っていたのはファインダーで、
ダイヤルを回すと35mm(0.65倍)、50mm(等倍)、Mg(1.55倍)に切り替えられることだ。
35mmはブライトフレームはないが、50mmでは等倍のファインダーに50mmと100mmのブライトフレームが付いている。
Mgはマグニファイアーで二重像が拡大され距離計の精度を上げることができるのだが、
これはM型ライカにもない機能で、バルナックライカでは二眼式なのだが、キヤノンは一眼式レンジファインダーで実現している。

残念なことに、このファインダーはVI型までで、P型、7型では使われていない。
キヤノンレンジファインダー機の集大成と言えるVI Lだが、こういう風に記事を書いていると、また使ってみたくなる。


ライツミノルタCL:1973年11月

発売当時、何度も購入しようかと考えたカメラである。
しかし、40mm付きでキヤノンF-1ボディと同じような価格、しかも純正レンズは2本だけ、
ライカMマウントレンズは高価だし、国産Lマウントレンズをアダプター経由で使うことになる。
結局、安価な中古のキヤノンVI Lを使うことになったのである。

デジタル時代になって、やっぱり昔憧れたこのカメラが忘れられず、
ライカCLだが露出計も正常な機体が見つかったので衝動買いしてしまった。
このころはミラーレス機でレンジファインダー用レンズを使っていたこともあって、使用レンズにも不安がなかったのである。

フィルムで撮ってみたいとなるとレンジファインダー機、
しかし近頃はM型ライカや国産レンジファインダーは大きくて重く感じる。
今では、このようなコンパクトで軽量のCLに、小さなレンズを付けて撮るのが最高の楽しみである。


ニコンF:1959年6月

キヤノンF-1を購入する時に検討したニコンFだが、
一度は使っておきたくてフォトミックFTN付きシルバーを7000円で買ったのが最初である。
ニコンFは販売期間が長かったので製造台数も多く、外観を気にしなければ安く手に入る。

当時は露出計付きのフォトミックFTNファインダーが異常に大きくて目立つように感じたが、
今では見慣れてしまったのか、大きいことには違わないが以前ほど異様に感じない。

その後にやはりアイレベルファインダーを使ってみたくなって、手に入れたブラックボディは整備済みだが、
塗装剥げが多く比較的安価だった。
整備済みなのでファインダーも綺麗でシャッターも正常、
コレクターではないので、中身がしっかりしていれば外観は気にならない。

ブラックボディは巻き上げレバー、セルフタイマーやボタンなどがシルバーなので、
ブラック一色のキヤノンF-1に比べるとクラシックなイメージが強調されるデザインである。
当時の他社の一眼レフに比べれば完成度は高いが、ガタついて滑らかでない巻き上げレバー、
ミラーアップレバーや絞り込みボタンの使いにくさなど、今になるとやっぱり使い勝手のいいカメラとは言い難い。
けれど、今でも使いたいと感じさせる不思議なカメラである。

2020年7月5日

久々のフォトブック


久々にフォトブックを作ってみた
パソコンに眠っている写真に
日の目を見せるには
都合がいい



モニターよりも
印刷物で見ると何かちがう
空気感、臨場感、ウェット感、豊かな階調



大阪市内のスナップショットだが
今更プリントしてアルバムに
とはいかない
ましてや家族写真でもない
この手の写真



A5版の144ページなので
相応な写真を載せることができた
街の記録としては
十分である

2020年7月4日

ジャケ写タイル


ジャケット写真
眺めているだけで
楽しい


2020年7月2日

PEN E-P1の美


シンプルなデザインの美しいカメラであった
TVCMで初めて見て
デジタルカメラで写真を撮ってみたいと
思わせてくれた
実際には使うことはなかったが

PENシリーズも
このデザインのままで
性能を上げていけば良かったのでは

残念なことになってしまった