2020年6月30日

Jupiter 8のフード

Jupiter-8 50mm f/2 + Leica ITDOO

Jupiter-8 50mm f2には樹脂製の純正カブセ式レンズフードがあるようだが、
なかなか手に入るものではない。
Jupiter-8のフィルター径は40.5mmなので、この純正フードは取付け部の内径が約42ミリ程度だろう。

ここで思い出したのが、ズミクロン50mm F2で、これはフィルター径は39mmだが、
フードのITDOOはレンズ先端の外径が42mm程度だと取り付けられそうに思えた。

実際に取り付けることができたがJupiter-8にITDOOだと、レンズよりフードの方が高価という、
悪魔の組み合わせになるのである。

2020年6月28日

x446 * アナログ・アナログ

Olympus PEN E-P5
LEICA DG SUMMILUX 25/F1.4

もうカセットテープは使っていない
最初に使ったのは
オープンリールだが
頭出しが大変だったのを思い出す

2020年6月26日

x445 * もう夏

Olympus PEN E-P5
KIYOHARA SOFT VK70R

アサヒカメラ 最終号

アサヒカメラ 2020年7月号

アサヒカメラの休刊が決まって、これが最終号となった。
写真を始めた頃はよく読んでいたものだった。
当時は、カメラや写真の情報はこういう専門誌でないと得られなかったが、今はネットの方がリアルタイムで、
月刊誌よりも早く情報が得られるようになってしまった。

これで最後となる2020年7月号だが、この最終号の特集の一つが「構図は名作に学べ! 」である。
昔から言われていることだが、絵画を見て構図を学べという基本のことで、
ブレていても、ピンボケしていてもいい時があるが、構図は疎かにできない。
ソールライターも絵を描いていて、ブレッソンも画学生だった。
古くはアジェも画家であった。
これほど絵から受ける構図の影響は、大きいということだろう。


私とアサヒカメラ

もう一つは94年の歴史と思い出「私とアサヒカメラ」という最終号では定番の特集であるが、
これはもうアサカメの表紙タイルが楽しいの一言である。

最終号のカメラメーカーの広告はソニーとシグマだけ。
昔は、キヤノン、ニコン、ペンタックス、ミノルタ、コニカ、フジ、リコーなど、たくさんの広告が掲載されていたが・・・
巻末の中古カメラ店の広告と合わせても僅かである。

加えて、カメラ写真雑誌の最後に、カメラメーカーからの言葉がないのも寂しいものだ。

2020年6月25日

オリンパスが映像事業を譲渡


オリンパスがカメラを含む映像事業を分社して
日本産業パートナーズ株式会社(JIP)に年内に譲渡することになったようだ

これでペンシリーズは絶望的になったが
オリンパス ブランドのカメラは残るのだろうか

2020年6月22日

Forever Saul Leiter

Forever Saul Leiter

2020年1月9日~3月8日まで開かれる予定だった「永遠のソール・ライター」展は、
新型コロナの影響で終盤は打ち切りとなってしまったようだ。

「ソールライターのすべて」展が開催されたのが、3年ほど前なのに、
今回また開催されたということは人気があるからだろう。


Deborah:Forever Saul Leiter

前回の「ソールライターのすべて」では、妹のデボラの写真はなかったが、
こちらには収録されていて、デボラはライターが写真を始めた頃の最初のモデルであったそうだ。
デボラを撮った写真は100点ほど発見されていて、ここでも1940 年代の写真が30頁にわたって収録されているが、
中でもこの作品が印象的だ。

このデボラの写真を見て、同じ名前のヒロインが登場する映画「Once Upon A Time In America」を思い出したのだが、
この時代のユダヤ系女性の名前としては多いのだろうか。

ソールライターは1952年にイーストヴィレッジ東10丁目に移転し、そこで写真を多く撮るのだが、
その南側はユダヤ移民居住区のローワーイーストサイドのシナゴーグを中心とするゲットーで、
川を挟んで「Once〜」のロケ地となったブルックリンのウィリアムズバーグという位置関係になる。


そばかす:Forever Saul Leiter

「Forever Saul Leiter」でも、ソール ライター構図は健在だが、あまりにも印象が強すぎて、最近は避けてしまうこともある。
そのためか、カラー作品ではなく22頁から40頁にかけてのユダヤ移民のゲーットーを思わせる、
モノクロームの写真に惹かれるのだ。

ソール・ライターといえば期限切れのポジフィルムで撮った、独特な構図と色表現のカラー作品が注目されるが、
それらはリアリズムを求めたものでなく、絵筆をカメラに置き換えたアートのようにも感じられる。
だが、この少女の攻撃的な眼差しや、デボラの上目づかいに訴えるような眼差しは、別な面を見せてくれ、
このようにストレートに被写体に向かったモノクロ作品も魅力的である。

2020年6月20日

2020年6月18日

2020年6月17日

歴史遺産:アベノマスク

アベノマスク

やっと届いたアベノマスク
すでにマスク不足も
緩和傾向
ブログネタにしかならない
アベノマスク

こういう無駄遣いをしてはいけない
という戒めのために
歴史遺産としたい

2020年6月15日

Once Upon A Time In America

Once Upon A Time In America

(ネタバレあり)
Stay Home期間中にアマゾンプライムで、50本ほどの映画を見ただろうか。
その中でも久しぶりに見た「Once Upon A Time In America」が飛び抜けてよかった。

ロバート デニーロといえば、マーティン スコセッシの「タクシー ドライバー」とセルジオ レオーネの、この映画がすぐに浮かぶ。
これはニューヨークのユダヤ移民のゲットーでの出来事を描いたユダヤ系ギャング映画である。
ジャケット写真は、この映画を象徴するシーンで、マンハッタン橋をブルックリンのワシントン ストリートから撮影したもであり、
今でも両サイドの建物は残っていて、ロケ地として観光名所になっている。

現在(1968年)と少年期ヌードルスの時代(1920年代初頭)と出所後のヌードルスの時代(1930年代初頭)を
切り刻まれたフィルムのようにフラッシュバックしながらストーリーが展開し、
そして切り刻まれたフィルムが繋がっていくように、ストーリーが組み合わさるのだが、
この構成がストーリーを分かりにくくしている。

このため制作側が2時間19分の時間軸に沿った編集をし、少年時代の多くのシーンもカット、
ラストはベイリーが自分自身を撃ったと思わせる銃声で終わるという別物になってしまい、酷評を浴びた。

レオーネ自身は6時間の作品に編集するつもりだったが、結果的に複数のバージョンが存在することになった。
139分のアメリカ版、229分のヨーロッパ版、251分の2012年カンヌ映画祭版、269分のレオーネ オリジナル版?であるが、
今は、3時間49分のヨーロッパ版が一般的である。


Amapola

この映画は1933年にイブが殺害されるシーンから始まり、次に1968年に時間軸が移りヌードルスが仲間だったモーの店を訪ねる。

そこで、トイレの壁のブロックを外して隣の倉庫を覗くと、デボラがバレーの練習をしている1920年代初頭へと移るのだが、
このシーンで流れるのがアマポーラ、印象的な曲の一つでストリングスバージョンもあるが、
こちらは、蓄音機のレコード盤から流れるクラリネットの優しい音色と、ゆったりとしたツー ビートを刻む「Amapola 」で、
ノスタルジー感が溢れている。

アマポーラはスペインからアメリカに移住したホセ ラカジェが、1920年に作曲したので時代的にも適していると思える。


Cockeye's Song

もう一つの曲はザンフィルのパンフルートの音色が物悲しい「Cockeye's Song」だろう。
敵対するギャングに追われ最年少の仲間ドミニクが射殺されるという、このシーンでも印象的に使われている。

全編を通してエンニオ モリコーネの音楽が切なく美しく、ストーリーと映像と音楽が見事に融合した作品だと言えるだろう。
映像表現として、レオーネがジェイコブ リースの写真を参考にしたという1920年代のゲットーの風景、
このような写真を撮ってみたいという気持ちにさせてくれる。

ジェイコブ リースの写真
Jacob Riis photographs from the Museum of the City of New York


Deborah's Theme

この、ラストシーンからエンドロールでも流れる美しいメロディの「Deborah's Theme」も心に残る名曲だ。

この映画は曖昧さが随所に現れているが、特に最大の謎が、ラストシーンの笑顔である。
時間軸としては、このラストシーンがファーストシーンのチャイニーズ シアターでアヘンを吸っているシーンにつながるのだが、
これは1933年にマックスが死んだとされた後であり、いろいろな解釈がされているようだ。

定説となっているのは、アヘン中毒による夢であるという解釈で、レオーネ自身も認めたとされているようなので、
そういうことだと不可解さ、不自然さや時間軸の頻繁な移動も納得出来る。
つまり、1968年は夢の中の未来であって、あくまでも現在は1933年、1920年代は過去ということ、
そして、この笑顔はヌードルスの夢の始まりといえるのだろう。

2020年6月13日

非現実的 ニコンF

NIkon F + Waist Level Finder + AR-1 + AS-1 + Leitz VIDOM

ペンタプリズムが
発明される前のようなスタイル

実用的ではないが
なんともノスタルジックである

2020年6月11日

露出計アプリ

IKOPHOT & myLightMeter

今では殆ど見られなくなった露出計。
けれど露出計の付いていないカメラが多かった頃には必需品だっただろう。
今ではデジタルカメラを露出計代わりに使うこともできるが、そのためだけだと嵩張って使いにくいので、
いつも身につけているスマホのアプリの露出計が便利である。

露出計アプリは色々あるが、今インストールしているのは2種類で、
この「myLightMeter」は、IKOPHOT風のクラシックな露出計を模したデザインで見た目も楽しい。


myLightMeterのPROモード

だが「myLightMeter」はMeasureボタンを押さないと露出測光をしてくれないのが難点である。
露出計というのは常時測光してくれているものと思っているので、
ついMeasureボタンを押さないで測光値を読み取ろうとしてしまうことも多くあった。

それと測光範囲の映像が中央の小さい白い部分にしか表示されないので、見づらくて測光したい場所に合わせにくいのだ。


Pocket Light Meter

そういうこともあって、使う機会が多いのは「Pocket Light Meter」という露出計アプリで、
これは文字も大きくて見やすく、常時露出測光をしてくれるので間違いが少なくて済む。

設定はISO感度と絞り値とシャッター速度という基本値で、絞り値を選択すればシャッター速度の値が変化し、
シャッター速度を選択すれば絞り値の値が変化するようになっている。

シャッター速度のステップはThirdsに設定しておくと、Leica Ⅲのシャッター速度にも対応でき、
絞りのステップをThirdsに設定しておくと、ズマールの大陸式絞りにも対応できるので便利だ。

測光位置は画面の赤い枠で、タップして移動できる。
iPhoneカメラを使っているので、画面に測光露出が反映され、ある程度の露出のイメージが掴めるのもいい。

HOLD機能とLOG機能が付いていて、HOLDすると測光した画面と露出のシャッター速度、絞り値が固定される。
LOG機能も便利で、測定した時の画像と絞り値、シャッタースピードなどをカメラロールに画像で保存してくれるので、
後からフィルムカメラで撮った画像と見比べて絞り値、シャッタースピードなどを調べることもできる。

それと、露出測定の基準値を設定で変更できるので、マイナス側に設定してアンダーな露出測定も可能である。

「Pocket Light Meter」は「myLightMeter」と比べると外観は殺風景だが、簡単な操作で失敗なく基本的な露出計の機能が使える。
露出計はシンプルで使いやすものがいいようだ。

2020年6月9日

オリンパス「フォトパス」が年内で終了

フォトパス終了のお知らせ

なんとなく、こういう予感がしていたが、やっぱり年内で終了になるようだ。

フォトパスは、2007年3月にオープンした写真投稿コミュニティサイトだが、私が参加したのは2011年頃だった。
サービスの利用状況や、SNSなどの新たなサービスの普及による環境変化のためだそうだが、
カメラ業課の販売不振や、コロナによる負担が大きいのだろう。

アサヒカメラの休刊といい、カメラ、写真業界の縮小が目立ってきた。

白手袋

ETSUMI Maintenance Glove

フィルムを扱う時には
必須のアイテム

フィルムをデジタル化するために
久しぶりに手にしたが
懐かしい感じがした

2020年6月3日

危険な関係のブルース

les liaisons dangereuses:Duke Jordan 1962年

「危険な関係のブルース」といえば、サウンドトラックでのアートブレーキーとジャズメッセンジャーズで大ヒットしたが、
映画「危険な関係」では作曲者はデューク ジョーダンではなく別人の名前がクレジットされていた。

このレコードは、これに見かねたチャリー パーカーの未亡人ドリス パーカーが、
経済的支援を含めデューク ジョーダンのために、1962年に録音したものである。


危険な関係のブルース:デューク ジョーダン

1950年代後半はヌーベルバーグ、ジャズではハードバップが隆盛の頃で、
多くのジャズミュージシャンがアメリカでの迫害を逃れてフランスへ移住していた。

フランスとジャズの関係は深く、アメリカ南部を支配していたフランス人と奴隷の間に生まれたクレオールをフランスへ留学させ、
当時の音楽や文化を学ばせたが、それが奴隷解放後のジャズの発展に貢献したと言われているようだ。
このようなことから、黒人に寛容なフランスに移り住むジャズプレーヤーも多かった。

この頃は、フランス映画でのジャズの再評価で「シネ ジャズ」が広まり、
1957年には「死刑台のエレベーター」(マイルス デイビス)や「大運河」(MJQ)が製作され、
このようなサスペンス映画にモダンジャズがよく使われるようになったのである。
そのほか「危険な曲がり角」(スタン ゲッツ)、フィルムノアールの傑作「殺られる」(アートブレーキー)、
「彼奴を消せ」(バルネウイラン)などもある。
けれど、このようなシネジャズというスタイルを取り入れた映画では、音楽の使われ方がパターン化して飽きられてしまい、
ブームは50年代で終わってしまった。

このアルバムには「No Problem」というタイトルで3曲収められていて、「No Problem #1」は典型的なハードバップ、
「No Problem #2」はラテン風のピアノトリオ、「No Problem #3」はスローブルース風だが、
やはりジャズ メッセンジャーズで馴染みのある「No Problem #1」がいい。


危険な関係


この4Kリマスター版でもセロニアス モンク、アート ブレーキーとなっていて、デューク ジョーダンの名がないのだが。

映画に出て来るナイトクラブの演奏シーンは、デューク ジョーダン、ケニー ドーハム、バルネ ウィラン、
ポール ロベール、ケニー クラークが出ているが、映画には出なかったアート ブレイキー、リー モーガン、
バルネ ウィラン、ボビー ティモンズ、ジミー メリットの演奏に置き換えられている。

この「危険な関係のブルース」の曲調は映画の内容には合っていないように思えるが、これはナイトクラブのシーンで、
全体ではセロニアス モンクの演奏が多く使われている。
やはり危ないストーリーの背景にはセロニアス モンクのような、ちょっと危ない感じがいいようだ。

作曲者のトラブルや演奏の差し替えとか、ストーリーも含め何かとややこしい「危険な関係」である。

2020年6月2日

アサヒカメラが休刊

アサヒカメラ増刊号

アサヒカメラが2020年6月19日発売の7月号をもって休刊となるようだ。
アサヒカメラは1926年(大正15年)4月に、東京朝日新聞社から創刊されたという写真雑誌の草分け的存在だった。

ネットもなかった時代の情報源といえば、このようなカメラ専門誌で、当時はアサヒカメラ、日本カメラ、カメラ毎日が、
三大カメラ雑誌だったが、残るは日本カメラのみとなってしまった。

写真を始めた頃は毎月購入して読んでいたものだったが、デジタルカメラで撮り出してからは買ったことがなかったのは、
ネット記事で十分事足りたからだと思う。

写真はグラビア印刷でのモノクロームの階調や、フィルム粒子の美しさを感じられる紙媒体で見るのが良いと言われるが、
やはりデジタル時代では、モニターに手っ取り早く再現して見るのが現実的なのだろう。
時代の流れによって、写真も変わってしまったようだ。

今後は、AERA dot.での不定期な記事の配信になるが、増刊号やムックは発行し、
木村伊兵衛写真賞は朝日新聞社及び朝日新聞出版の共催で続けるそうだ。

2020年6月1日

10年モノのMacBook Pro

MacBook Pro(Mid 2010)

このMacBook ProはMid 2010なので、この6月で丸10年となる。
アルミ削り出しの銀色に輝くボディが魅力的な洗練されたフォルムで、カメラでも同じだが優れたデザインの道具は、
飽きがこなくて長く使えるものだ。
それと、使用者には見えない光るアップルロゴマーク、こういう遊び心が楽しいが今は光らなくなったとか。
そういえばキーボードもバックライトで光るのだが、今はどうなのだろう。

最初のMac OSは「Snow Leopard」だったが、今は「Yosemite」で使っている。
まだ「High Sierra」までバージョンアップすることができ、「High Sierra」までだと8世代の更新になるが、
Windowsでは同じPCで、ここまでバージョンアップは出来ないだろう。

Macの良いところは、OSのバージョンアップが無料ということだ。
これはハードメーカーのアップルとソフトメーカーのマイクロソフトとの違いで、
アップルでのOSはMacを売るためのソフトウェアにしか過ぎないのだろう。

今は、用途が写真と音楽が主なので、このMacBook ProとYosemiteの使用感でも問題ないのだが、
Windows PCからMacに切り替えた理由はこの使用感だった。
Windows PCでは、OSをバージョンアップするごとにパフォーマンスが落ち、3年もすると使い物にならなくなる。
さらにWindowsの宿命であるレジストリ管理のため、アプリをインストール、アンインストールをするたびに不安定になり、
Windowsを再インストールしなければならなくなる。
その点、MacではOSの再インストールをすることはなかった。

Macに乗り換えてWindowsのストレスから逃れられたが、そろそろ、このMac OSのバージョンでは動かないアプリも出てきたので、
最後にHigh Sierraにバージョンアップしてから新MACへのリプレースも考えたい。