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Olympus PEN E-P5 LEICA DG SUMMILUX 25mm F1.4 |
2019年7月31日
2019年7月28日
ウエストレベル ファインダー
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Nikon F & PEN E-P5 |
ウエストレベル ファインダーは二眼レフなどのブローニーサイズのカメラでは馴染み深いが、
何故か、ニコンFやキヤニンF1のようにファインダーが交換できるカメラには、ウエストレベル ファインダーが用意されていた。
ペンタプリズム ファインダーが開発されていなかった初期の35mm判一眼レフはアサヒフレックスのように、
このようなウエストレベル ファインダーとビュー ファインダーが付いていたが、その名残なのだろうか。
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Nikon F & PEN E-P5 |
35mm判一眼レフのウエストレベル ファインダーは、すこぶる使いにくいが、
アスペクト比を1:1にできるミラーレスカメラのEVFをチルトして、ウエストレベル ファインダーにすると凄く使いやすい。
やはり35mm判一眼レフはペンタプリズム ファインダー、クイックリターン ミラー、
完全自動絞りの三種の神器が揃って完成品なのだろう。
2019年7月16日
ミノルタスカイというカメラ
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ミノルタスカイ |
- 名称:ミノルタスカイ
- 型式:35mm レンジファインダーカメラ
- 画面サイズ:24 x 36mm
- レンズ マウント:3枚爪バヨネットマウント(口径21mm)
- シャッター:2軸式布幕フォーカルプレーンシャッター
- シャッター スピード:1〜1/1000秒・B(無段階)
- ファインダー:連動距離計二重像合致式、倍率 等倍、視野率 85%、
50mmレンズ視野枠、パララックス自動補正 - 距離計:基線長62mm
- 露出計:なし、シャッターダイヤル連動LV方式露出ガイド
- フィルム装填:裏蓋、一部底蓋開閉式
- フィルム巻き上げ:レバー式、小刻み巻き上げ可、巻上げ角180度
- フィルム巻き戻し:巻き戻しボタン、クランク式
- フィルム カウンター:自動復元式
- セルフタイマー:2.4、8、15秒の長時間露出可
- シンクロ接点:X、FP
- 交換レンズ:スーパーロッコール50mm F1.4、25mm F3.5、135mm F2.8
ミノルタスカイは、ライカM3に対抗すべく1957年に完成したレンジファインダーの試作機であり、
スカイという名称は社内での仮称で、これをベースにした高級機と普及機を開発する予定だったようだ。
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ミノルタスカイと交換レンズ |
この四角いファインダーと丸い距離計窓がキヤノンVI Lを連想させるが、
最後までL39マウントだったキヤノンと違ってスカイはバヨネットマウントである。
ミノルタ独自のバヨネットマウントだが、L39レンズを取り付けるアダプターも用意されていた。
スカイにはユニークな機能も備わっている。
シャッターダイヤルをBにセットして、セルフタイマーを下部に印字されている2, 4, 8, 15の何れかの数字に合わせると、
その数字の長時間露光ができる。
これは14年後に発売されたニコンF2のセルフタイマーと同じ機能だ。
そして、この頃に流行していたライトバリュー方式(LV)も取り入れられている。
シャッターダイヤルの横に絞りの数字とシャッターダイヤルに連動するLVの数字があるので、
例えば単体露出計で測ったLVが14で、レンズの絞りを5.6にセットしてあれば、
シャッターダイヤルを回してLV数字の14を絞り数字の5.6に合わせれば、適正露出のシャッター速度がセットされたことになる。
またシャッター速度を先に1/250と決めた場合は、LV数字が14の位置にある絞り数字8をレンズの絞りにセットすればいい。
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「ミノルタスカイ」から「ライツミノルタCL」へ |
この頃は1955年にミランダT、1957年にアサヒペンタックスSP、1959年にニコンFとキヤノンキヤノンフレックスが発売され、
各社とも一眼レフへと大きく舵を切っていた。
ミノルタも創業者の田島一雄がアメリカでの宣伝から帰国した後、発売間近だったスカイの開発を断念して、
一眼レフの開発に注力し1958年にSR-2を発売している。
その後スカイの簡略版であるミノルタ35IIIを1958年に試作したようだ。
こういうことで発売されず、不完全燃焼だったレンジファインダーカメラだったが、
16年後の1973年にライツとミノルタの共同開発という形で、ライツミノルタCL / ライカCLを誕生させたのは、
スカイという自信作を断念せざるを得なかったという悔しい思いがあったのかもしれない。
その後、1981年にライツミノルタCLの後継機で、ミノルタ単独開発となるCLEを発売して、
ミノルタのレンジファインダーカメラは終焉を迎えた。
2019年7月14日
2019年7月12日
2019年7月10日
キヤノンF1のカメラケース
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Canon F1 ケース |
キヤノンF1のカメラケースであるが、カメラケースは使わないので、そのまま眠ったままになっていた。
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Canon F1 ケースの内側 |
このケースはボディ部とフロント部に分かれ、フロント部は大きめで、FD100mm F2.8でも付けることができるが、
硬い革なので閉じにくい。
ケースの内側は赤色の柔らかい布が張られていて、黒と赤のコントラストが新鮮である。
中には芯が入っていて、かなり硬い。
これは初期型のF1用でメモホルダーのない裏蓋ようサイズなので、後期型のメモホルダーの付いた裏蓋だと引っかかってしまう。
サイズはぴったりなので、かなり固めである。
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Canon F1 ケース |
黒いボディの隙間から赤い裏地がチラッと見えるのは好き嫌いがありそうだが、
黒の重量感と赤の華やかさとが組み合わさったゴージャスな雰囲気を醸し出しているだろうか。
ただ、ビビッドな赤とシックな黒のコントラストは人目を引くが、
妖艶さも現れ下品な印象にもなるが、黒塗装のF1では強烈な個性を感じる。
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Canon F1 ケース |
こうしてハードケースを付けた姿もいいものだが、実際に使うとなるとボディが大きくなりすぎて使いにくい。
そういうことから、当時はあまり一眼レフにカメラケースを付けていなかったように思う。
とにかくカメラのケースは邪魔になるので、今でも、どのカメラにも使っていないが、
最近ライカIII型のケースには興味が湧いている。
カメラケースに入ったバルナックライカは趣があるようだ。
2019年7月8日
オスカー バルナックのライカ
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Osker Barnack (1879 ~ 1936) |
ライツ社のカメラの設計者で、35mmカメラを完成させたオスカーバルナックだが、
1936年1月2日のライツ入社25周年記念パーティーの2週間後の1月16日に亡くなっているので、
ライツ社がカメラを発売してから11年しか開発に携わっていないことになる。
こうしてみると、すごく短い期間に思える。
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250型 Reportor |
バルナック設計の最後のカメラはII型、III型、IIIa型をベースにした、
10mのフィルムを詰めて250枚撮影できる報道用の「250型 Reportor」だとされている。
通常タイプだとIII型が1933年発売、IIIa型が10周年の1935年発売であるが、IIIb型は1938年発売なので、
IIIaまでがオスカーバルナックのカメラだろう。
ちなみにIIIa型までがオール板金製で、IIIb型は連動距離計とファインダー部分がダイキャストになって、高さが1.2mm増え、
1940年発売のIIIc型はボディ全てがダイキャスト製になり、幅が2.8mm、高さが1.2mm増えている。
わずかなサイズの増加のようだが、持った感じも見た感じも大きく感じられる。
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Leica III Black Paint Nickel + Summar 50mm F2 Chrome |
バルナックライカを選ぶとすれば、やはりオスカー バルナックが関わったであろうII型〜IIIa型迄だろう。
II型は
- 吊り金具なし
- 低速シャッターなし
- 視度補正なしの等倍の距離計
- 最高シャッター速度は1/500秒
- ブラックペイントが主でクロームメッキは少ない。
III型は
- 吊り金具あり
- 低速シャッターあり
- 視度補正付きの1.5倍の距離計
- 最高シャッター速度が1/500秒である。
- ブラックペイントとクロームメッキがある。
IIIa型は
- 吊り金具あり
- 低速シャッターあり
- 視度補正付きの1.5倍の距離計
- 最高シャッター速度が1/1000秒である。
- クロームメッキが主でブラックペイントは少ない。
これから見ると、実用的なのはブラックペイントだとIII型、クロームメッキモデルだと1/1000秒の付いたIIIa型ということになり、
発売10周年のIIIa型でオスカーバルナックのライカシステムは完成したということだ。
2019年7月6日
2019年7月4日
2019年7月2日
二眼レフは女子カメラ?
男が持つとサマにならない?
男は一眼レフだろうか
これは映画「Green Fire」の時の写真だが
宣伝用だろうか
作品の評価は良くなかったが
このショットはいい
グレース ケリーは
ローライフレックスを
いつも持ち歩いていたそうだ
これは映画「Green Fire」の時の写真だが
宣伝用だろうか
作品の評価は良くなかったが
このショットはいい
グレース ケリーは
ローライフレックスを
いつも持ち歩いていたそうだ
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