Photograph & Music
こんばんは^^何とも素敵な店構えですね。こういう絵には弱いんです(笑)女将さんのさりげないポーズも好ましいですね。映り込みから想像するに、声をかけて撮っているのでしょう。いや、視線の方向から見れば、やっぱり居合抜きのように撮ったのかも…。そんなふうにこの場の状況を思い巡らしています。でも、お店は20年も前に閉じられているんですね。後を継ぐ人がいなかったのでしょうか。もったいないけど、これも時代の流れなのでしょうね。そういう背景を知って改めてこの写真を見ると、良き昭和の名残を残す、貴重な写真にも思えてきます。
こんにちは。れもんさんの好みの絵でしたか(笑)和洋折衷というか、何とも風情のある店構えですよね。映り込みに気づいてもらえたんですね。うん十年前の私です(笑)正面に構えて撮っていますが、さてどうでしょうか。目線が外れて自然な雰囲気になったのが良かったです。この建物も、もう残っていないようですよ。文化財に指定されるような建物は保存されますが、このような、街中の一般の建物は残らないですね。老朽化や生活の不便さから仕方ないですが、寂しいです。せめて写真で街の記憶として残したいすね。
この写真は私の生家です。懐かしいです!ありがとうございます。ここに写っているのは私の祖母で、この写真の後数年後に亡くなりました。私はまったく別の分野に進んでしまい、お店は閉じてしまいました。この頃にお菓子を作っていた父はその後脳梗塞などを患い、店をたたんで舞鶴で共に過ごしました。
seikai さん、はじめましてこちらはseikai さんの生家なのですね。懐かしいと言って頂けてよかったです。ご祖母様が亡くなられ、お父様もご病気で、お店を閉じられたのですね。この時は、お店のことはよく知らなかったのですが、当時でも雰囲気のある、いいお店だったので、思わず撮らせていただきました。今ではこういうお店も少なくなったので、私も懐かしく思っています。コメントいただけて嬉しいです。ありがとうございました。
この建物の一部であるコンクリート部分は戦前からのものでした。木造部分は空襲で焼けたそうです。中国での戦争から帰国してきた父は、親類の大工さんとともに、残った構造を組み込んでお店と住居を造ったそうです。店をたたんだ父は20年間舞鶴で暮らし亡くなりました。
seikai さん、こんにちはコンクリート部分は戦前のものとは貴重で、木造部分を組み合わせ再建して、いいお店にされたんですね。お父様もお店を続けられなかったことは、残念だったでしょうね。
懐かしいです。父(1929年生まれ)が行っていたようです。私も何度もこの前を通り、中にも入ったことがあると思いますqただいま四天王寺の施設に入っている父母の面会に来て、油忠さんを思い出して検索してこのサイトに辿り着きました。
てっぺい さん、こんばんはお父様がよく行かれていて面会の時に思い出すほど、思い入れのある店だったんですね。私もこの頃は、天王寺やこの界隈をよく撮りながら歩いていて、その時の一枚なんです。懐かしんでいただけてよかったです。
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8 件のコメント :
こんばんは^^
何とも素敵な店構えですね。
こういう絵には弱いんです(笑)
女将さんのさりげないポーズも好ましいですね。
映り込みから想像するに、声をかけて撮っているのでしょう。
いや、視線の方向から見れば、やっぱり居合抜きのように撮ったのかも…。
そんなふうにこの場の状況を思い巡らしています。
でも、お店は20年も前に閉じられているんですね。
後を継ぐ人がいなかったのでしょうか。
もったいないけど、これも時代の流れなのでしょうね。
そういう背景を知って改めてこの写真を見ると、
良き昭和の名残を残す、貴重な写真にも思えてきます。
こんにちは。
れもんさんの好みの絵でしたか(笑)
和洋折衷というか、
何とも風情のある店構えですよね。
映り込みに気づいてもらえたんですね。
うん十年前の私です(笑)
正面に構えて撮っていますが、さてどうでしょうか。
目線が外れて自然な雰囲気になったのが良かったです。
この建物も、もう残っていないようですよ。
文化財に指定されるような建物は保存されますが、
このような、街中の一般の建物は残らないですね。
老朽化や生活の不便さから仕方ないですが、寂しいです。
せめて写真で街の記憶として残したいすね。
この写真は私の生家です。
懐かしいです!ありがとうございます。
ここに写っているのは私の祖母で、この写真の後数年後に亡くなりました。
私はまったく別の分野に進んでしまい、お店は閉じてしまいました。
この頃にお菓子を作っていた父はその後脳梗塞などを患い、店をたたんで舞鶴で共に過ごしました。
seikai さん、はじめまして
こちらはseikai さんの生家なのですね。
懐かしいと言って頂けてよかったです。
ご祖母様が亡くなられ、お父様もご病気で、
お店を閉じられたのですね。
この時は、お店のことはよく知らなかったのですが、
当時でも雰囲気のある、いいお店だったので、
思わず撮らせていただきました。
今ではこういうお店も少なくなったので、
私も懐かしく思っています。
コメントいただけて嬉しいです。
ありがとうございました。
この建物の一部であるコンクリート部分は戦前からのものでした。木造部分は空襲で焼けたそうです。中国での戦争から帰国してきた父は、親類の大工さんとともに、残った構造を組み込んでお店と住居を造ったそうです。店をたたんだ父は20年間舞鶴で暮らし亡くなりました。
seikai さん、こんにちは
コンクリート部分は戦前のものとは貴重で、
木造部分を組み合わせ再建して、いいお店にされたんですね。
お父様もお店を続けられなかったことは、
残念だったでしょうね。
懐かしいです。
父(1929年生まれ)が行っていたようです。
私も何度もこの前を通り、中にも入ったことがあると思いますqただいま四天王寺の施設に入っている父母の面会に来て、油忠さんを思い出して検索してこのサイトに辿り着きました。
てっぺい さん、こんばんは
お父様がよく行かれていて面会の時に思い出すほど、
思い入れのある店だったんですね。
私もこの頃は、天王寺やこの界隈をよく撮りながら歩いていて、
その時の一枚なんです。
懐かしんでいただけてよかったです。
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